愚痴

みなさんはSNS上でゲーム界隈のけんかを見たことがあるだろうか。

「お前ざっこwwww」

「二度とこのゲームやるな」

「俺の勝ち~はいはい論破~www」

など、その暴言の種類は多岐にわたり、日々進化を遂げているように見える(悲しいことに)。できれば平和に過ごしていたいと思っている人のツイートにも、中国の当たり屋かといわんばかりにプ〇ウスアタック顔負けの速度で突っ込んでくる輩が多い。

 

ボケとツッコミであれば良いのだが、ボケてもいないのに勝手に突っ込まれる人もたびたび見かける。よしもとには決して入れなかったであろう残念な逸材だ。

 

今回は、そのSNSでたびたび見るけんかについて考えていきたいと思う。

 

※最初に前提条件として

基本的にゲームをやる人の9割以上はけんかを好まない傾向にあり、このような諍いとは無縁なことが多い。実際に煽ったり暴言を吐いたりする人は1割にも満たない、ということは自明であるので、今回はその1割弱にあえて触れていこうと思う。もちろん筆者もFPSをたしなむ人間であるので、こういった人間がごく少数であるのは百も承知だ。でも書かせてほしい。書きたい。お願いします。もちろん個人の意見なので聞き流してもらっても構わないです。

 

よく見るものは上に書いたもの。

これらは主に対人のゲームに多くみられる。例としてはCoD、R6Sがあげられる。

ではまずなぜこのようなゲームに多いのか考えていきたい。

 

「暴力的なゲームだから?」という点は触れずにおこう。テトリスなどのパズルゲームのほうが暴力的になる傾向があるという研究もあるようだし、そんなことを言ったら「どこからが暴力的?」と言われかねない。せっかく自由に語れる場なのに法律的な方向にもっていくのは面倒くさい。

 

ではなにか。それは、他の対人ゲームと比較しながら考えていきたい。

例としてはポケモンスマブラなどである。

ではそれらと何が違う?

 

・複数人の対戦であること

そこにはチームやクランの存在がある。人は群れれば強がる、というのは当たり前だ。ゲームの強い人同士、気の合う人同士、あるいはリアルの知り合いと。それ自体は悪くないし、プロゲーミングチーム発足には必要だった段階だ。

パーティを組む理由は様々だが、そこには必ず彼らを出会わせた共通点がある。その共通点を持って彼らは、互いに意見をぶつけ合い争うのだ。

これは動物の縄張り争い、チーミングなどとよく似ている。集団のリーダーたる人(あるいは総意そのもの)を前面に押し出し、意見の食い違う相手と争いを広げる。自然界ではよく見る風景だろう。

でも、圧倒的に違う点がある。動物は肉体で戦うが、人間は活字やゲームのなかで戦うという点だ。一見、身体を傷つけあうわけではないので平和そうに見えるが、これが厄介なのだ。

それは、「賭けるもの無しで喧嘩できる」という点においてだ。負けだろうが勝ちだろうが失うものはせいぜい自尊心やFF内からの信頼…その程度だ。特に、フォロー数に対してフォロワー数が極端に少ない人は、失うものが少ないのでより攻撃的になる。

(ちなみに、FFの数が多い人は喧嘩を避けようとする傾向にある。失うものが大きいから、という当たり前のリスクマネジメントだ。別に悪いことをしているわけではない。)

 

・戦績によりランクが決まり、それが誰でも閲覧可能な状態であること

ポケモンスマブラでもいわゆる「レート」というものが存在する。それがCoDやR6Sではどう違うのかというと、「ウェブで他人の戦績を詳細に追える」という点にある。

ツール(CoDではTracker)を使えばPSIDを入力するだけで戦績を追うことができる。だからこそ戦績に固執し、それでマウントをとることで精神の安定を図る。

「お前ざっこwwww」の中には『俺より』が含まれることが多い。せめて伝わりやすいように付けてほしいものだ。でも付けない。それには理由がある。

『対照を「自分」にしてしまうことで真正面から比較されるリスク』を避けるためである。つまりは、明示してしまうと『だったらお前はどうなんだよ!!』になりかねないのだ。そこで批判の矛先が自分に向かないように、あえて『俺より』はつけない。匿名が許される時代で過ごしてきた証拠だ。科学の発展をよもやこんなところで実感するとは。キルされないような見事な立ち回り。なるほどFPS民らしい。見習いたいくらいだ。

 

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 ここまでは簡単によくある暴言の類について考えた。

しかし、世の中には「これって喧嘩なの?」「暴言…とはちょっと違うような?」という謎の争い(?)を見かけることがある。「バナナはおやつに入りますか」問題だ。

 

例として挙げるなら

「プロゲーマーなら、一人一人のリスナーの批判にたてつかないで全部聞き入れてください。もっと謙虚に振舞ってもらわないと尊敬できない。俺だったらこうしますね。応援はしてます。」

という種類のものだ。これは、ストレートな暴言よりもたちが悪い。

『応援はしているけど、人間性はドンドン否定していくよ!!』

という意味である。

これ、分解していくと…

「応援している敬虔なリスナーです!!だから俺の理想のプロゲーマーになってほしいです!!意見も聞いてほしいです!!じゃないといやです!!」

になる。

つまりは自分の理想像を頭の中に描き出し、それを実在する人に実践してもらいたいという要望だ。ぶっちゃけ、こういうのは1mmも応援なんかしていない。

自己肯定感、というのは一人では形成できない。例えば、テストでいい点数を取ったときに周りの人に言いふらして褒められたい・もてはやされたい、という気持ちは誰にでもあるだろう。これは正常で、悪いことでは決してないし、幼少期からのアイデンティティ形成には必要なプロセスだろう。

上に書いたような人は、「自分の理想を、自分より偉い誰かに実践してもらうことで、自分が正しかったと思いたい」という意思がある。これもまた自己肯定の部類であり、悪いことではない。

しかし、「実際に会ったこともない、親しいわけでもなく一方的に知っている相手」に行う行為だろうか。普通は『人間性の否定』や『理想像の押し付け』なんてものは親友や家族…というよりも、他人に真正面から言うものではないだろう。心にとどめておき、「自分はこうなるようにしよう。こうならないようにしよう」という着地点に行くのが平和的だ。つまりは、①押し付けは争いを生むとわかっていない、②わかっていてもやめられない、のどちらかだ。じゃがりこでも食べているのだろう。

そして彼らが交換条件として差し出したのが「ファンであること」だ。有名な人であれば自分のファンが増えることは嬉しい。それは誰でもわかることだ。だからこそ、「ファンなので言うこと聞いてください」という論調にもっていくしかないのだ。

それは、ある意味では社会の縮図である。つまりは「商売」だ。金銭が流通する前は石や植物の大きさや形により価値を決め、相手のものと交換した歴史があるように。争いになるとわからないほど社会や人間関係について無知であるのに、物々交換という文化を皮肉ながらも自然と実践してしまっているのだ。すごい。わかりやすい。

 

 

もう一つ。種類で言えば暴言とは分かりにくいものがある。

「言い方キツくないですか?プロならもっと言葉遣いに気をつけるべき。せっかく見てくれてる人へのリスペクトが足りない。e-Sportsの発展のためにも。」

と言う類のものだ。これもたちが悪い。

 

これ、一見すると正論を振りかざしているように見えるがそうではない。

上に記述したものと少し似ているかもしれないが、こちらは「商売」ではなく「人質」という考え方だ。

商売は、交換条件を提示することによって、少なからずも相手に気遣う気持ちがあった(結果はさておき…)。

人質は、「〇〇してください。さもないと△△は衰退しますよ。あなたのせいで。そうはなりたくないですよね?」という考え方である。ここで言う△△は「〜業界」「〜界」という大きなものを選択する場合が多いように見える。

例としては、上に示したものの他に

「ランクマで雑魚狩りしてたでしょ。そういうのプロとして良くないと思う。そういう行為を辞めないと、日本でゲームがe-Sportsとして認められることは無いと思いますよ。」などがある。

ここでは「人質」として『e-Sportsの発展』が述べられ、そうなりたくなければ『ランクマッチで自分より弱い人と戦うのはやめろ』という要望を出している。

この要望はだいたい個人の身勝手な私怨が反映されている場合が多い。恐らく、マッチングしたときに負けたのが気に食わなかったのだろう。あるいは親しい人がボコボコにされたのか。少なくとも、何かしら自分にとって不利益な事がなければこんなこと真正面から言わない。

 

『人質を見せて相手を動きにくくして、一方的に殴りたい』という考えが透けて見える。

誰でも対人ゲームをやるときには圧倒的な勝利を求めてしまう。例えばCoDのチームデスマッチ、50k0dみたいな圧倒的なスコアを叩き出すイメージは誰でもしたことがあるだろう。そのイメージにより近づけるように人は努力し、上手くなるものだ。でも彼らは違う。自分が上手くなるための努力よりも、相手にとって不利な状況に追い込む事をまず考えるのだ。それ自体はスポーツをやるのには大切なことだし、悪いことだけではない。

「俺の言うこと聞かないと、あなたにとって大事な△△は死にますよ。だから金出せ。」という置き換えができる。あまり良くないやり方だ。その甘い考えがあったからボコられたんじゃないか、とも思うが真意は本人しか分からない。実は本当に『e-Sportsの発展』とやらを望んでいるのかもしれない。ご立派なことだ。だとしたら尊敬する。

しかし、だいたいは見当違いなことを言っているので、自分の意見を多人数の総意と誇張し表現しているのだろう。

『俺はそうは思わないけど、皆がそう思うんじゃないかな!』という論調だ。

個人が語る『皆』という言葉ほど信用ならないものはない。そこらへんで胡散臭い婆さんが売ってる不思議な力のあるツボとか水晶玉とかの類だと思ってもらっても差し支えない。

つまるところ、こういう発言はだいたい私怨なので、『へー狩られたんだなー。だから怒ってんだなー。』

程度の見方で良いと思う。というか、本質はきっとそれだ。主観の考えであることを恥じることによって至った『客観の偽装』だ。

 

と、こういうふうにSNS上の喧嘩を見てみると、客観的に見れるのではないだろうか。

喧嘩の一番の対策は『関わらないこと』『挑発に乗らないこと』である。

「敗北者め!!」といわれても乗ってはいけない。

「敗北者…?取り消せよ今の言葉…!」という感じに乗ってしまえば、相手の思うつぼだ。エース!!

 

喧嘩腰にくる相手は、賭けるもの無しで来ているということ。掃いて捨てるほどの信用しか持っていないからこそ、人に暴言を吐けるのだということ。

この点を踏まえて、ぜひ「観察」してほしいと思う。面白いので。

 

俺ですか?そりゃ暴言吐きますよ。

ざこおtttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttt(絶命)

 

 

このブログ面白くないとか言ってきたやつ許さない(矛盾)

よいゲームライフを。